音声強化ウェアラブルの始まりを告げる、エルトン・ジョンの最後のツアー

伝説のミュージシャンのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)のショーに、ヘッドフォンで参加することの是と非

ライブ会場にとっては楽な時代ではない。かつては街で唯一無二の空間だったクラブ、アリーナ、その他のライブイベントスペースは、今や無限のオンデマンドエンターテイメントのオプションとの競争を余儀なくされている。50インチのスクリーン上の4K Netflixの便利さと競うのは、最高のスターたちにとっても、厳しいことだ。

だがそれは、スタートアップたちに開かれている素晴らしい市場だ。コネクテッドオーディエンスたちのライブ体験を大きく高め、ライブやツアーで多くのお金を稼ぐために、テクノロジー企業が立ち上がっている。このカテゴリーに参入する企業が増えていることには疑いがない、多くのプレイヤーたちがコンサート参加者たちに対して、パーソナル化された強化オーディオを提供しようとしているのだ。

中でもロンドンを拠点とするPeexは、一人の有名人の支持を得てその地位を急上昇させている。同社は昨年、エルトン・ジョン卿の最後のツアー”Farewell Yellow Brick Road”でその技術を公に利用することを発表した。それはスタートアップにとって初めての試練である。

確かに、Peexのヘッドセットは、ショーのVIPパッケージを購入する参加者に限定した数量しか用意されない。しかし20世紀で最も愛されたエンターテイナーの最後のツアー以上に、高い注目を集められる音楽イベントもそうそう存在しない。

一方、実証すべき価値は非常にシンプルだ。ライブ音楽は難しい。最も技術的に洗練された会場でさえ、会場の中のあらゆる席に完璧な音楽ミックスを届けることは、不可能であることは知られている。2万人を収容する会場でそれを達成しようとするならば、マディソン・スクエア・ガーデン のスタッフのような人たちでさえ頭を悩ますことだろう。

昨夜のショーで、私はその機材を手元で試すことができた。それはジョンの70回目の、そして少なくとも今となっては、伝説の会場における最後の登場だった。イベントの準備のために、Peexは主に照明器具上に、4つの送信機を設置した。全体の作業には約1日かかり、空間全体を埋めるようにカバー範囲を調整した。大変な作業である。

バックステージでは、ライブショーのフィードを5つのチャンネルに振り分けるミキシングボードを含む、(少なくともMSGの観点からは)小さなプロダクション設定が行われていた。入場時にVIP客は、首の周りに装着するデバイスRXを手渡される。その前面には大きなディスクがあり、その両側にヘッドフォンケーブルが2本ぶら下がっている。それはちょっと奇妙でなんとなく間抜けに見える代物だ ―― 同社がショーが始まる前に、私たちにバックステージを案内してくれたときに、この首のまわりに装着するものは一体何なのかを当然近くのスタッフに尋ねた。

完全な体験を得るためには、着用者はPeexアプリをiOSまたはAndroidデバイスにダウンロードする必要がある。そして携帯電話はBluetooth経由でデバイスとペアリングされる。アプリを用いて、ユーザーはチャンネルごとにリスニング体験をカスタマイズするのだ。チャンネルは通常楽器単位に分かれている。だがもちろんより大規模なバンドの場合には状況はより複雑になる、その場合にはアーティストが最終的な決定を行うことになる。

ジョンのバンドの場合、チャンネルはボーカル/キーボード(ジョン)、ギター、ベース、セカンドキーボード、そしてパーカッション/ドラム(3人のミュージシャンで構成)に分かれていた。音楽が演奏されているときに、ユーザーはアプリ上の5つのグラフィックスライダーを使って、それぞれのチャンネルを調整することができる。

アプリではいくつかの問題には出くわしたものの、その経験はキビキビとしたものだった。ヘッドセットの接続は途切れなかったものの、アプリは数回クラッシュした。基本的にパブリックベータ版なのだから、ある程度の初期バグは許容範囲だ。私たちに付き添った同社のCOO David Johnson氏は、私がショーに持ってきたサムスンS10との相性に何らかの問題があったのかもと指摘した。米国内でまだ未発売(現時点では米国時間3月8日が発売日とされている)のサムスンの携帯では、まだテストが行われていないのだ。まあ仕方がない。

技術全体は印象的なものだった。私が演奏者とヘッドフォンの間の遅延を感じることはなかった。Johnson氏は、この技術はライブオーディオを置き換えるのではなく、強化するようにデザインされていると語った。そのようなわけで、ヘッドフォンは会場内の周囲の雑音をあまり和らげる役割を果たすことはないが、全体として両者は、お互いをかなり補完する役割を果たす。

Peexを通してショーの手配をしてもらった役得のひとつは、席が驚くほど素晴らしいものだったということだ。前から11列目のほぼ中央だ。2時間半のパフォーマンスの間、エルトン卿を汗が届くほどの距離で観ることができたのだ。それはロックンロールショーを見るという観点からは素晴らしいことだが、今回のプロダクトを使うためには理想的な場所ではないのでは、という疑いを密かに抱いた。そこは間違いなく会場の中で、「強化」を最も必要としない場所なのだ。ノリノリのマイケル・スタイプ(R.E.M.のリードボーカル)が2席離れたところに座っていたが、ヘッドセットなしで心からショーを楽しんでいた。私は基本的に、彼のライブミュージックに対する意見を信頼しているのだ。

Peexの完全な体験を得るためにイヤホンを耳に差し込んだ。気が付くと、周囲の音を上回るように音楽の要素を分離させるために、私はボリュームを上げていた。私たちがコンサートの途中でロビーに出たとき、私はそれをいかに大きな音量に設定していたのかに気付いて少々ショックを受けた。会場の外では、そんな音量でヘッドフォンの音楽を聴くことは絶対にないだろう。

聴覚障害についての認識は、年配の来場者の間でますます重要な問題となっているため、この問題は同社にとって少々厄介なものになるだろう。Johnson氏は、Peexのウェアラブルには他社製のヘッドフォンを差し込むことができる端子があることを指摘した。したがってもし周囲のノイズを効果的に遮断するヘッドフォンを持っているのなら、たとえ不完全なものであっても、一つの選択肢にはなるだろう。

セット中の途中で、私たちはMSGの最上段席に案内された。ここではデバイスの効果がはるかに顕著になった。トンネルを通る際にFMラジオが中断するような、音声ストリームの途絶が2、3度起こったが、大部分は間違いなく良好で明瞭な音声だった。これまでは他の演奏の中に埋没しがちだったアコースティックギターの音などが、その輝きを発揮することができていた。

これは、同社にとって価値を売り込める点だと思うが、そのバランスをとるのは難しいだろう。Peexは、一般へのサービスの提供を始めると同時に、多くの会場やアーティストの提携を発表する予定である。しかし、同社はレンタル機器の使用を通して、基本的には全体のリスナーの一部だけを相手にするつもりだ。

当分の間、それはVIP参加者が使うものになるだろう。その夜デバイスを使用するために、比較的少額の料金を支払うのだ。しかし、高級ボックス席から遠く離れている人たちは別として、そうしたVIP客というのは、こうした技術を最も必要としない観客の集まりだ。

そうした観点からは、少なくとも、二次的なハードウェア製品を必要とせずに、その技術をスマートフォンにもたらすMIXhaloのような会社と競争することは、難しいかも知れない。だが、Peexのような会社がMIXhaloと比較して有利なことの1つは、FMラジオのようにブロードキャストされることによる、製品の相対的なスケーラビリティの高さだ。

しかしどちらの会社も直面しなければならない、別の重要な問題もある。これは昨夜のセットが4分の3ほど過ぎた頃、ジョンが聴衆に対して「ちょっとの間ソーシャルメディアに気を取られるのをやめてくれないかな」と懇願したときに、私には痛感されたことだった。ちょうどその時私は、ヘッドフォンを耳に差し込んで、Android上のミニミキシングボードを見下ろしている最中だったのだ。

ジョンも他のアーティストたちも、これに参加するためにはサービスを自ら採用する必要がある。だが世界をモバイルデバイスを通して体験するということを始めると、そのやり方がやがて世界を支配してしまうのではないかという危惧から逃れることは困難だ。

ある意味でPeexやMIXhaloのような製品は、利用者を効果的に音源に近づけることを可能にする。しかしながら、それは同時に、私の少し前方に陣取って、FaceTimeでおそらく家にいる家族にショーを実況していた客と似たような音楽体験のような気もする。ときには、ただヘッドフォンジャックを引き抜いて、その瞬間を生で感じなければならないのだ。

画像クレジット:Tim Mosenfelder / Getty Images
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(翻訳:sako)

Source: TechCrunch Japan
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